よじょうブログ

SNSに書いたことのまとめとか。本のこととか。オタクのこととか。

ここ数日の日記

ここ数年、爪が割れすぎて真面目に困っていたので、最近やっと重い腰をあげて対策を立てた。

サプリメントで栄養を摂るのを始めたほか、爪にベースコートを塗っている。

爪割れは防げているが、どちらの効果がでているのかはわからない。まあ多分ベースコートだろう。ちょっとサプリを飲んだくらいで体質が変わるとは思えない。なぜ効果検証の妨げになるのに両方同時に試した?

最近肌の調子も前よりいい気がする。サプリはそっちに聞いているのかもしれない。

ベースコートはかなり高速で剥げていく。果たして、何度も塗りたしていいものだろうか。

毎回取ってから塗らないといけないのなら面倒だ。

 

◇◇◇

 

最近、Xをやっていると「特別対応を受けたことをを公にするな」的な話をよく見る。(それを見た他の人もその対応を店などに要求し始める恐れがあるから)

私は保育園の頃、給食のブロッコリをー残して良いよと先生に言われて友達にもブロッコリー残して良いって!って言って「貴方への特別対応だったのに」と叱られた件を一生反省しているのだが、これはどうも私が些細なことで落ち込み続けている変人なのではなくこの世の重要なトピックだったようだ。なんだか嬉しい。

こんな大事なことを保育園児のうちに教えてくれた先生に感謝だな…という気持ちになれてきた。良かった。

 

◇◇◇

 

最近、やりたいこと多すぎて何もやってない感が強くてつらい。

RadioTalkでNANA全話分を1話ずつ語っていきたい。

いややっぱブログで語った方がいいかも。

でも源氏物語語りがまだ終わってないからそっちからやるべき。

オシャレな手帳作りたい(シールが家にありすぎるから)。

古典文学で出てきたお気に入りの和歌をメモしておくノートも作りたい。

イラストを描きたい。

 

◇◇◇

 

他の方のブログを読んでいて、私もおしゃれライフブログとかバレットジャーナルブログをやりたい!と思うんだけれど、おしゃれな写真をSNSやブログに載せるのって陽の光が部屋に入る時間に家にいることができる人だけに許された活動に見える…。

みんなどうしてるんですか…?

自然光がない部屋で撮った写真、映えてなさすぎる………。

アプリとかでどうにかなりますか……?強いライト………?

美容室【備忘録:次回、前髪切るな】

先週は美容室に行った。

「私は『髪染めたなーっ!感』を味わえるけど人には髪染めたことがバレなくて、アハ体験的な感じで時間をかけて徐々にバレないように髪を染めたい」ってオーダーしたら、私的にはめちゃくちゃ茶髪になったのに今のところ職場の誰からも指摘されてない。すごい!美容師さんめちゃくちゃ凄腕なのではという気がしてきた。

(私は以前ちょっとイメチェンをした時に職場で色気づいてどうした?彼氏でもできたのかよっていじられすぎて嫌だったので、イメチェンにおいてはアハ体験を心がけているのだ。)

 

それから、今流行りの薄めの前髪にしたくて、前髪の一部以外を伸ばすことにした。

美容師さんが、次回の担当者に前髪伸ばしてるって申告しないと切られちゃうから気をつけてねとおっしゃっていた。(そういうのカルテとかに書いておいてくれたりしないのかな…。)

次に美容室に行く時に前髪切っちゃダメだって誰か私の代わりに覚えておいてください。

 

あとせっかくなので眉毛サロンも初体験してみた(この歳になって!)

なぜ眉毛サロンを初めて利用してみようと思ったのですか?とヒアリングされたものの、「好きなアニメのコラボカフェのために東京に行くから…。」とは言えず、ずっと行ってみたい行ってみたいと思っていたので〜!と答えておいた。

サロンに行ってから毎日眉毛がいい感じになってる気がして嬉しい。

 

ちなみに東京行く予定を得て浮かれすぎてるあまり、この本も買って読んだよ。浮かれすぎだろ。

この本はめちゃくちゃハードル低いところから説明してくれているし終始ズボラ民に対して優しい姿勢なので良かった。高級な製品を使え!とかも書いてなくて良かった。

この本の影響でとりあえずパドルブラシを買って髪を洗う前にとかしたり頭皮をポンポンしてる。あと予洗いをしっかりした方がいいと学びました。

 

ビジネス書/自意識

蔵書を減らしたくて、だいぶ前に読んだビジネス書などを売ろうと考えた。

最近の私はもうビジネス書を読まなくなっているので、手放しても大丈夫だろうと思ったのだ。(というか、最近の私にとってビジネス書ってなんかちょっとだけ小っ恥ずかしい気がするのだ。俗っぽいというのか、「意識高い系」と思われそうなのがちょっと嫌だみたいな自意識というか…。)

びっしりとメモ付きの付箋が貼られている。最後に一読し、大事な部分だけメモを取るなり付箋を取っておくなどしようと思って久しぶりに1冊を開く。

そうしたらま〜〜〜驚くほど、「やっぱり良い」と感じてしまうのだ…………。さすが私が気に入ってめちゃくちゃ付箋を貼っている本だ。私が悩んでいることがめちゃくちゃ書いてあるのだ。しかも私ってあんまり進歩してないから全部今でも刺さるのだ。

というわけでやっぱりビジネス書を手放すことには失敗した。蔵書は減らない。本棚はパンパンだ。あと今すぐこの本に書いてあることを実践したい。ていうかビジネス書ってやっぱ悩みの解決に打ってつけだよな…と思ってもっと読んだ方がいいなという気持ちにすらなっている。

ちなみに、今日読んだ本の中には「(言葉のトレーニングのために)好きな文章の表現を真似て書き写せ」というようなことが書いてあった。私の好きな文章の90%が漫画「NANA」の中に存在するんだけどそれでも良い?それなら無限にやれるんだけど、やっぱダメ?

 

ところで、最近の私は「読書メーター」に読んだ本の記録が溜まっていくのが生きがいになっているみたいなフシがある。

漫画でも雑誌でも読んだ本をすぐに読書メーターに登録せずにはいられない。

読んだ冊数や感想が蓄積される喜びを得るためだけでなく、あとからその本に何を思ったのか見返したりするのにも便利なのでメモしておきたい。紙の手帳とかに書いておくよりもずっと振り返りやすい。

しかし今手に取ったこのビジネス書はどうだ。モテ男が教える!仕事で人からモテまくる方法 みたいな本なのだ(やや誇張した表現)。

ややこういう本を読んでいると知られたくない部類の本である。そういうときどうしたらいいかわからない。

やっぱり紙の手帳にでも書いておくべきか。悩ましい。

ホワイトデー

職場で男性社員の皆様からホワイトデーのお返しを頂いてとても嬉しかった(職場の慣習です)。

しかしご用意いただくのも大変だと思うし(というかいい加減職場でバレンタインデー・ホワイトデーをやるのって古い)、ホワイトデーのお返しが嬉しいのは予期せぬ(予期しないところが重要)おやつが手に入ることにある気がするので、なんかもう事前にお金を払っておいたら3/14にランダムなお菓子が送られてくるサービスとかを利用したい(自分で自分にご褒美的なかんじだと予期せぬ要素がないので)。

 

 

昔すぎる人の方が何も気にせず共感できる

最近、平安時代の5人の女子たちを紹介する古典エッセイ「平安ガールフレンズ(酒井順子 著)」を読んでいます。

菅原孝標女のパートで、古典の教科書などでも有名な念願だった源氏物語全巻を手に入れて「この喜びに比べたらお后の位なんていらないわ!」とか言って源氏に没頭するシーンを読んで、なんか良すぎてちょっと涙ぐんでしまった(情緒不安定)。

私には最近とってもハマっているアニメ(源氏物語とは全然関係ありません笑)があるのですが、SNS上での評判があまりいい方ではないらしく、結構批判的な意見を見かけてしまいます。

その度に私は「そっかあ、面白いのになあ…。でもこんな私の感じ方って、もしかして批判的な意見への逆張り?もしかして私って意地になって面白いって言っちゃってる?」と思って、自分の心さえ疑わしく思えるようになってきていたので、菅原孝標女のあまりに純粋で真っ直ぐな「源氏物語、世界一大好きっ!」の主張が眩しくて、なんだか涙が出てきてしまうのでした。(誰目線!?)

私も力強く、このアニメを見れるなら他に何にもいらないくらい大好きっ!と叫びたいものです。

それこそSNSで好きな漫画やアニメに熱狂してるオタクなんて山ほどいるのに菅原孝標女にわざわざ感銘を受けなくても…という感じなのですが、なんか平安時代の人って自分から遠すぎて、逆に余計なことを考えずに共感したり感情移入したりできるような気がするんですよね。

私は紫式部日記のことを「最も共感できるお仕事エッセイ」だと思っているのですが、というのも私は現代お仕事エッセイを読むと「この人に比べて私なんて…」とか、「同年代女性なのにこの人すごいなあ…」とか色々考えちゃうんですよね。その点、平安時代の人なんて感情以外何もかも違いすぎて自分と比べても意味がないから、純粋に感情だけに共鳴できる。だから古典文学って好きなんですよね〜。

 

今日の日記

ローソンの冷凍紅茶シフォンケーキをチンしたら生クリーム部分が溶けた(冷凍なので当たり前)

 

和歌を引用して会話する人への憧れ

誰かが書いているブログを読むと、素朴だけれど美しい日々に感動して「私も日記を書きたい!」と思う。でも私の生活は相当社会から閉じていて、書くネタもそうそうないかんじだ。寂しいな。日々の些細な生活の中でハッとするものを見つけて書き留めておきたいものだ。枕草子だ。

 

今日は、憧れで大好きな先輩が可愛い服を着ていらしたので「今日の服可愛いですね!」と言いたかったのに、超コミュ障だから「可愛いです、ね、あ、その…服!…です」みたいなかんじになってしまった。つらい。次は頑張るぞ。

 

先日、少し早いが桜の枝を頂く機会があった。そんなことは滅多にないので、平安王朝文化にハマっている私としては桜に関する有名な和歌を和紙に書いて添えて写真でも撮ったら超それっぽいんじゃないかと思った。しかしながら桜の和歌が思いつかなかった。どう考えても平安時代の和歌に一番登場しそうな花って桜なのに…。悔しい…。

私がパッと思い浮かぶ「花に関する歌」といえば、「五月待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」と「君ならで誰にか見せむ梅の花 色をも香をも知る人ぞ知る」の2つだ(少ない)。

なぜこの2つなのかというと、私は日記や物語に登場する「和歌の一部だけを口ずさんだり花を渡したりするだけで当該の和歌が思い起こされて相手はすぐに意図を汲む」みたいなシーンが大好きだからだ。

五月待つ花橘の香をかげば〜」と言えば、和泉式部日記で敦道親王が橘の花を和泉式部送って、和泉式部はこの歌をすぐに思い出して返歌をしていた。そのシーンがなんか良すぎだったので超印象に残っている。

「君ならで誰にか見せむ梅の花〜」は、源氏物語の宇治十帖で確か按察大納言が匂宮に梅を手折って贈り、「知る人ぞ知る」と言っていた。これだけでこの和歌の意味=あなた以外の誰にこの梅の花を見せましょうか。この色も香りもわかる人にしかわからない=私の娘の良さを知っているのはあなただけ。あなたにうちの娘をもらって欲しいと言いたいのだと伝えているのがカッコいいと思った。

そういうわけで超印象に残っている2首なのだ。王朝文学とかを読むと、随所にこういうパートが出てくる。ネットミームで会話する我々オタクみたいで最高だ(例えが最悪)。こういうシーンばかりをピックアップした書籍とか、こういうときに引用されやすい古歌の元ネタ集みたいなのないかな…。そういう本があれば超読みたい。

 

 

ムートン出動

私はnoteもやっているのですが、最近noteとはてブロの使い分けにまた悩み始めました。

はてブロは日記(SNSの長い版みたいなイメージ)、noteは記事みたいな使い分けをしようかなあと考えています。

そういうわけでこれからしばらくはてブロの方は他愛もない日記が続くかもしれません。

 

今年の冬は暖かくて、せっかく買ったムートンの上着は今年は出番なしかなあと思っていたのですが、今日なんとなく初出動させてみました。冬の初めに買って1月も末にしてようやく初出動です。遅い気もするけど、よく考えたら一番寒いのっていつも2月くらいかも。もふもふで毛並みが良く、とても気持ちが良かった。まだこれから寒くなるかもしれないし、たまに着よう。

 

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